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2010年7月8日木曜日

情熱社長(無断転載)

人との出会いに導かれ、印刷の業界へ

初めて勤めたのは、印刷の工程のひとつで、
箔押し(上製本で金文字の豪華な表紙を作成)をする会社でした。
今では珍しいかもしれませんが、夜間大学に通いながらの仕事でした。
2年程勤めましたが、学校の求人をきっかけに印刷会社へ。
7年ほど営業を経験しましたが、ここで、突然出社拒否のような精神状態になって、
3ヵ月会社に行けなくなってしまったことがありました。
給料前だったこともあり、食事の代わりに大学の冷たい水で
満腹にしたことは苦い思い出です(笑)。
いま思えば、人と話をするという仕事に対する拒否反応だったと思うのですが、当時の上司が迎えに来ては、
「会社とはどういうものか」「営業とは」といった事を教えてくれました。
今だったら考えられないですよね。
その後、仕事関係で知り合ったバイタリティのある人に引き抜かれる形で
転職しましたが、ワンマンなやり方についていけなくなり、
長くつきあいのあった印刷会社に転職しました。

居心地のいい場所からの独立

私が独立したのは39歳でした。
社長としては遅咲きの部類に入るでしょう。
独立前、最後の勤め先となったのは、
気のいいお父さんが身内で精一杯やっているような小さな印刷会社で、
とても居心地のいい職場でした。
社長は私を跡継ぎにするつもりでいました。
でも、当時はまだやんちゃな頃で、ある時、
社員の枠を超えた発言をしてしまったことで社長と衝突し、辞めてしまったのです。
自分は人をまとめていけるような人間ではない、
独立なんかとんでもないと思っていたのですが、
よくも悪くもどこにいても目立ちすぎてしまう私のキャラクターは、
認めてくれる上司がいる会社ではよかったのですが、
キャリアを重ねてくると、そんな私を迎えてくれる上司も会社もなくなっていました。
「もうこれは自分でやるしかない」。そう思って独立したのです。
独立前にいた会社では「印刷」工程のみを請け負っていて、
受注から完成までの営業管理は私がすべてやっていたのですが、
独立を話すとその社長はすべての得意先に、
「小川が独立します。うちは印刷屋なので、企画ものの仕事は小川に回してください」
と言い、起業のための資金を退職金としてくれたのです。
しばらくは気まずい思いがあったのですが、時間が経つにしたがって、
「ああ、僕が悪かったんだ」と気づきました(笑)。
いまのストリームスがあるのは、この社長のおかげです。
今では、回せる仕事はこの印刷会社にお願いしています。

「ニンマリ」がある仕事

もともと積極的に印刷業界に行こうと思っていたわけではなくて、
人との出会いでここまで来たカタチですが、
「印刷」という仕事にも導かれたのだと思います。
ストリームスは医学会系に強みがあります。
主な顧客は医学会を運営する会社や医療関係の方で、
医学会で使用する資料等の制作や、病院の仕事を頂くこともあります。
これらの顧客は、長くこの業界にいて培った人脈からのもの。
この信頼関係の中で仕事の質を落とさないことが重要と考えています。
会社の規模や仕事を拡大することは大切ですが、
それ以前に、社員みんなの生活をよくしたいという大前提があります。
絵空事ではない「リアル」な基盤をつくって、
そこを起点にして面白い仕事をしたいと思います。
印刷の仕事って、すべてオーダーメイドなんです。
元になる「原稿・作品」を印刷することで、多くの人の手に届けられる。
印刷の過程では、さまざまなコミュニケーションを重ねていきますが、
成果物を手にしたときの、思わずニンマリしてしまうようなうれしさは、
モノづくりの醍醐味ですね。
そしてまた面白いのは、仕上がった印刷物から、
二次的なコミュニケーションが生まれていくこと。
そういうたくさんの「ニンマリ」があるから、いい仕事をしようと思える。
印刷の仕事はその繰り返しです。

「思いたったらすぐにやれ!」

肩の力を抜いてのんびりいきましょう。時が来れば必ずできるから。
ただ起業を考えるなら早い方がいい。
私が39歳で独立したときには、すでに結婚して子供が2人いて、
妻にも反対されました(笑)。
結果的には満足していますし、多くの経験が助けてくれたこともありますが、
その経験が逆にブレーキになってしまったことも事実です。
もし二十代だったら、将来に希望が持てるし、目標も立てやすいし、
失敗してもやり直せる余地があります。
だから、起業を考えている人にはこう言いますね。
「思いたったらすぐにやれ! 考えるな! 馬鹿になれ!」と。

でも社員にはそれを求めていません。
そんな人だったら、すぐに会社を飛び出していってしまうでしょう(笑)。
(無断転載)

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